UNIV 2009!!
2009.06.10 Wednesday
日本が極東なら、ユーラシア大陸の最も西に位置するヨーロッパは極西といったところだろうか。2009年の春に二十歳の僕はスペイン、イタリア、そしてバチカンを旅するUNIVに参加した。オランダを経由して伝統ある街マドリッドに足をおろし、その異国の風景を友人の”光”をはじめとする日本からの参加者六人で味わう。飛行機で十何時間以上かけて到着したヨーロッパの空気や人、街並みは、日本のそれとはまるで違う。シワがひとつもなく張りのある真っ白のTシャツのように澄んだ空気が境界線がくっきりとした建物の輪郭から伝わってくる。
僕がUNIVに参加した理由は幾つかあった。もちろん、今まで一度もヨーロッパへ行ったことがないから行ってみたい。という至極単純な考えも大きな理由のひとつだ。しかしもっとも魅力的なことが、そこにはあった。むしろ、魅力的でなければ僕は動かないのだ。 それは、UNIVは単なる旅行ではないということだった。 スペインやイタリアそしてバチカン、この三つの国に共通しているものを挙げるならば、キリスト教である。このUNIVで我々は各国の教会訪問や、期間中に行われるイースター(復活祭)を通じてカトリックのイベントをこなしていくのだ。今から思えば、それらの行事は未信者がなかなか体験できるものではない。ひとりの日本人が、バチカンの復活祭に出席するだけでも貴重な体験だったと言える。ちなみに僕はキリスト教徒ではないが、世界を知るにはキリスト教は欠かせないと考えていたこともあり、絶好のチャンスといわんばかりにUNIVに転がり込んだ身である。無教養でわがままな僕が、道中えらく居心地がよく過ごせたのは、未信者ということを配慮してくれた皆さんのおかげであった。戸惑いが隠せぬまま初めて参加したミサも、皆の解説のおかげで安心して受けることが出来た。また時折かけてくれる「ミサあるけど、参加したければ、してね。」という言葉も嬉しかった。
なにはともあれ事と時は進み、五日目の朝に僕ら御一行は建築家アントニ・ガウディーが残した教会サグラダ・ファミリアの前に立っていた。サグラダ・ファミリアは写真で何度か見たことがあった。今の時代、有名な建築物であればインターネットで写真を探そうと思えばいくらでも探せる。僕は旅行に行く前に、ちゃっかり日本でサグラダ・ファミリアの全貌を見ていたのだ。そんな僕の小さな心の準備をこの巨大な建物は嘲笑うこともなく、自分は居るべくしてここに居るのだといわんばかりにどっしりと構え、形容しがたい威厳を放っていた。 そして僕の小さな準備は失敗に終わった。 絶景とはこのことかと建物を前に思わず言葉を失ったのだ。もし故ガウディがそれを意図して製作したなら、彼は成功したといえる。「大抵の人は、この教会を見たら十分間は動かないよ」と、案内人の通訳をした光が言った。 なるほど、人は本気になればこんな建物を建ててしまうのかと心の底から感心した。ふと我に返り、急いでカメラを取り出し、写真を撮った。
おいしい料理を食べたいならフランス、勉学に励むならドイツ、底の無い愛が欲しいならイタリア、そして陽気になりたいならスペインとよく言われるが、やはりスペインは陽気な国であった。UNIVを通じで何人ものスペイン人と触れ合う機会があったが、やはりどの人も陽気な気質を備え、そしてやはり僕たち日本人を楽しいお喋りに誘うのである。スペインの学生寮に招かれた日があった。僕ら日本人のための立食と座食を交えた歓迎パーティを終えたあとが本番である。おもむろにギターを取り出し、唐突に歌い始める彼らに、僕は透き通った好感をもった。理由もなく笑みがこぼれるというのは、いいものである。光は2008年の夏にこの学生寮に一ヵ月の留学をしていたのだが、僕はなんとなくその気持ちが理解できた。
僕らが第二の目的地に着いたときには、すでに春の陽気がイタリアを包み込んでいた。日中の暑さにも関わらず僕は、赤と濃い紫の中間を取った色の、まるでアメリカの片田舎に住む老人が着るようなセーターをシャツと上着の上に着た。友人たちに「見ているこっちが暑くなる」と文句を言われたが、僕は気にしない。何故そのとき厚着をしていたのか、今ではよく覚えてないが、でも確かに暑かったのだ。それでも僕は厚着だった。その暑さとは裏腹に凄然と静まり返える教会に、僕らは僕らの影を教会に預けるかのように訪問した。
大きな教会を大聖堂と呼ぶらしい。玄関の真ん中向かって右側から確かにこぼれる光は神々しくも教会の中を照らしていた。光が迷いもなく一直線に降り立つ様は、まるでそこに道があるかのような錯覚を生み出す。天から届きし光を受け入れる教会という受容体の中に入る感覚というものは、行ってみなければ分からない。神聖な足音が確かに聞こえる場所であった。
世界で一番小さな国土面積を誇るバチカン市国へ行く方法は至って簡単。ローマから徒歩でパスポート無しで入れてしまう。まるで不法入国しているのではないかと思ってしまうほど、簡単に他国に入れてしまう感覚を、僕は当時知らなかったのだ。なんせ道が続いていて歩いていると、ふと気がつけばそこは違う国なのだから。バチカンはまた復活祭の開催地でもあるため色んな国からたくさんの人が来る。
その人の数に圧倒されながらも、僕は日本人として異国にいる喜びを再び味わっていた。これだけ人が居ながらも、アジア人はわずか少数なのだ。普段日本人に囲まれているだけあって、ここバチカンでは、日本人というだけで特別な存在にでもなった気がした。
二週間は時間換算で三百三十六時間、月日が過ぎてゆくのはとても早いのである。この極西の地で学んだことを僕は数日後、日本に持って帰ることになる。UNIVを通して学び、そして感じたことは決して日本では得がたいものであったと、僕はこの時点で確信をもって言えた。新しい価値観をもたらしてくれた旅に、どれだけの新しいことを僕は見出せただろうか。それは、むしろ、日本に帰ってから気づくことかもしれない。家の外に出ないことには、自分の家の形を知ることは無いのだから。
僕がUNIVに参加した理由は幾つかあった。もちろん、今まで一度もヨーロッパへ行ったことがないから行ってみたい。という至極単純な考えも大きな理由のひとつだ。しかしもっとも魅力的なことが、そこにはあった。むしろ、魅力的でなければ僕は動かないのだ。 それは、UNIVは単なる旅行ではないということだった。 スペインやイタリアそしてバチカン、この三つの国に共通しているものを挙げるならば、キリスト教である。このUNIVで我々は各国の教会訪問や、期間中に行われるイースター(復活祭)を通じてカトリックのイベントをこなしていくのだ。今から思えば、それらの行事は未信者がなかなか体験できるものではない。ひとりの日本人が、バチカンの復活祭に出席するだけでも貴重な体験だったと言える。ちなみに僕はキリスト教徒ではないが、世界を知るにはキリスト教は欠かせないと考えていたこともあり、絶好のチャンスといわんばかりにUNIVに転がり込んだ身である。無教養でわがままな僕が、道中えらく居心地がよく過ごせたのは、未信者ということを配慮してくれた皆さんのおかげであった。戸惑いが隠せぬまま初めて参加したミサも、皆の解説のおかげで安心して受けることが出来た。また時折かけてくれる「ミサあるけど、参加したければ、してね。」という言葉も嬉しかった。
なにはともあれ事と時は進み、五日目の朝に僕ら御一行は建築家アントニ・ガウディーが残した教会サグラダ・ファミリアの前に立っていた。サグラダ・ファミリアは写真で何度か見たことがあった。今の時代、有名な建築物であればインターネットで写真を探そうと思えばいくらでも探せる。僕は旅行に行く前に、ちゃっかり日本でサグラダ・ファミリアの全貌を見ていたのだ。そんな僕の小さな心の準備をこの巨大な建物は嘲笑うこともなく、自分は居るべくしてここに居るのだといわんばかりにどっしりと構え、形容しがたい威厳を放っていた。 そして僕の小さな準備は失敗に終わった。 絶景とはこのことかと建物を前に思わず言葉を失ったのだ。もし故ガウディがそれを意図して製作したなら、彼は成功したといえる。「大抵の人は、この教会を見たら十分間は動かないよ」と、案内人の通訳をした光が言った。 なるほど、人は本気になればこんな建物を建ててしまうのかと心の底から感心した。ふと我に返り、急いでカメラを取り出し、写真を撮った。
おいしい料理を食べたいならフランス、勉学に励むならドイツ、底の無い愛が欲しいならイタリア、そして陽気になりたいならスペインとよく言われるが、やはりスペインは陽気な国であった。UNIVを通じで何人ものスペイン人と触れ合う機会があったが、やはりどの人も陽気な気質を備え、そしてやはり僕たち日本人を楽しいお喋りに誘うのである。スペインの学生寮に招かれた日があった。僕ら日本人のための立食と座食を交えた歓迎パーティを終えたあとが本番である。おもむろにギターを取り出し、唐突に歌い始める彼らに、僕は透き通った好感をもった。理由もなく笑みがこぼれるというのは、いいものである。光は2008年の夏にこの学生寮に一ヵ月の留学をしていたのだが、僕はなんとなくその気持ちが理解できた。
僕らが第二の目的地に着いたときには、すでに春の陽気がイタリアを包み込んでいた。日中の暑さにも関わらず僕は、赤と濃い紫の中間を取った色の、まるでアメリカの片田舎に住む老人が着るようなセーターをシャツと上着の上に着た。友人たちに「見ているこっちが暑くなる」と文句を言われたが、僕は気にしない。何故そのとき厚着をしていたのか、今ではよく覚えてないが、でも確かに暑かったのだ。それでも僕は厚着だった。その暑さとは裏腹に凄然と静まり返える教会に、僕らは僕らの影を教会に預けるかのように訪問した。
大きな教会を大聖堂と呼ぶらしい。玄関の真ん中向かって右側から確かにこぼれる光は神々しくも教会の中を照らしていた。光が迷いもなく一直線に降り立つ様は、まるでそこに道があるかのような錯覚を生み出す。天から届きし光を受け入れる教会という受容体の中に入る感覚というものは、行ってみなければ分からない。神聖な足音が確かに聞こえる場所であった。
世界で一番小さな国土面積を誇るバチカン市国へ行く方法は至って簡単。ローマから徒歩でパスポート無しで入れてしまう。まるで不法入国しているのではないかと思ってしまうほど、簡単に他国に入れてしまう感覚を、僕は当時知らなかったのだ。なんせ道が続いていて歩いていると、ふと気がつけばそこは違う国なのだから。バチカンはまた復活祭の開催地でもあるため色んな国からたくさんの人が来る。
その人の数に圧倒されながらも、僕は日本人として異国にいる喜びを再び味わっていた。これだけ人が居ながらも、アジア人はわずか少数なのだ。普段日本人に囲まれているだけあって、ここバチカンでは、日本人というだけで特別な存在にでもなった気がした。
二週間は時間換算で三百三十六時間、月日が過ぎてゆくのはとても早いのである。この極西の地で学んだことを僕は数日後、日本に持って帰ることになる。UNIVを通して学び、そして感じたことは決して日本では得がたいものであったと、僕はこの時点で確信をもって言えた。新しい価値観をもたらしてくれた旅に、どれだけの新しいことを僕は見出せただろうか。それは、むしろ、日本に帰ってから気づくことかもしれない。家の外に出ないことには、自分の家の形を知ることは無いのだから。



